“人脈を作る”という考え方が、すでに資本主義経済の“イヌ”なんだよ。えっえっえっ何目的でつるんでんの?カネ?餌?それとも交尾の相手??

ただ好きなヤツと游ぶ。そこに何の利害も損得も生まれない。それでいいじゃないか。小学校で学ばなかったのかな。

人間🧠🧠🧠🧠 のROOM – 欲しい! に出会える。

自称メンヘラでお馴染みの『人間』さんの楽天ルームがやばい。欲しいものがなんと1286個あるそうだ(2024/05/12時点)。狂気。ちなみに僕が楽天ルームをやったら、欲しいものは0個です。それはそれで人間としておかしい気もする。

メンヘラの人の共通点は、“欲”。欲が強烈なんだよな。欲しい。もっと欲しい。ぜんぜん足りない。もっともっと。食欲や物欲にもそれが表れる。しまいには・・いや、止そう。いうて僕、メンヘラ思考嫌いじゃないんだ。ちゃんみなとかね。アーティストは拗らせなくちゃ。遠くから見ている分にはおもしろい。

白か黒か

ねえ、信じられない話なんだけど。僕、昔は陽キャだったんだ。

僕が、インターネットの世界に足を突っ込む前の話。
仕事・恋愛・遊び、そのすべてが充実していた。たとえば30人規模の飲み会を企画したり、自宅に招いてパーティしたり、クラブで朝まで遊んだり、職場の子達とBBQ行ったり、胴上げされたり。それが上京して鬱病になってから、真逆の性格になってしまった。鬱で脳の構造が変わったんじゃないかと思うくらいに。そして誰もいなくなってしまった。白が黒に変わってしまった。随分と畑違いになってしまったけど、かつて陽キャだった頃の友達まわりのインスタグラムを眺めていて、ふとそんな事を思い出していた。

でも、この際ハッキリ言っておこう。今の自分も、意外と悪くないよ。きっとあの頃のパリピな自分から見ても、間違いなくね。
昔の僕「そっちのが性に合ってるじゃん。クールじゃん」。きっとそう言うと思う。ちょっとしたレアキャラ感あるし。それにさ、白が黒になるのも格好いいじゃん。オセロの逆転劇みたいでおもしろいでしょ。パンダみたいでかわいいでしょ。書道みたいで潔いでしょ。それに意外と白(あっち)の方が、深い闇なのかもしれないよ。

これは忠告というよりも、ひとつの提案だ。
友人や遊びのネットワークに依存した生き方よりも、僕みたく孤高の存在になる生き方が良くないかな?仕事は成就して、FIREして、今は誰にも依存せずに暮らしている。自慢じゃないが金もある。友達と呼べる人はほんの一握り。大勢のフォロワーなんて糞くらえ。ぼっち上等。どう?チャラチャラしたヤツより、よほどクールじゃない?そんな奴らよりも僕の方がイケてるって、本気で思ってるよ。

毎晩のように酒飲んでつるんでも、なんの成功にもなりゃしねえ。なんの生産性もありゃしねえ。朝には小便になるだけ。遊びのネットワークに依存するのは、楽しいけど終わりがない。それは闇だ。実態のない闇だ。
断言しよう。いつか皆、必ず遊びの場からいなくなる。必ずね。会社・同僚・チーム・共同経営、いつかはサヨナラする時が来る。自分が落ちぶれた時にね。わかってて付き合う、そういうのって寂しくないかな?僕はそんな寂しいもんに依存したくない。そういうもんにはなりとうない。
生まれながらにして、人は誰もが孤独だ。だからこそ家族を作るのだろう。結局のところ、自分の父母が体現していたとおり、信じるべきは “家族” だけなんだよね。

友達・恋人・会社・仕事。人生の興隆期にすべてを失った僕だから言える話。失わないと気が付かなかった。今でも飲み屋でうえーい!とかやってたかもしんねえ。チヤホヤされてモテと勘違いして、いつまでも夜遊びして、気付いたら誰もいない人生になってたかもしんねえ。手遅れになってたかもしんねえ。そう考えたら、あの時人生の階段につまずいて真っ逆さまに転げ落ちて、一回すべてを失って良かったとさえ思える。あー僕、鬱になって良かった。笑

結論。
黒は、生地の質ですべてが決まる。白は誤魔化せても、黒はそうはいかない。
“白い服を着たいのか、黒い服を着たいのか”。僕は後者だ。

金遣いが荒い人間を信用しない。お金の使い方ってセンス出るよね。ざっくり言うと “無駄なもの” にお金を使っている人。その人にとっては意味/価値のある買い物だとしても、無駄は無駄。

お金は引換券だ。かわいいものに交換したい気持ちは分かる。ネックレス・香水・ヘッドフォン・光るキーボード・インテリア・ネイル・コスメはいはい、この世にはそういうキラキラアイテムで溢れているね。でもそれ全部無駄やで。もちろん、自分が労働して精神すり減らして手に入れたお金だ。自分の好きに使えばいい、死ぬまで働いて。それを誰も否定しない。

では、センスのいいお金の使い方について考えてみる。たとえば、投資信託。基本的には、お金は増やすために使うのが資本主義経済ハック。それは正しい。労働/奴隷からの解放だ。次に作品制作費。自分が作品をアウトプットするためにお金を使うのも正しい。(因みにインプットはタダでできる時代)旅行費、交際費、外食費など、新しい知識/経験/交流/思い出のためにお金を使うのも正しい。そして自分以外の誰かのためにお金を使うプレゼント費も基本的に正しい。(推しへの投げ銭はただの養分)そんな感じかな。詰まるところ、自分の「かわいい」に対する欲求を満たすだけなら、シンプルに金ドブなんですよね。

結論を言おう。
「かわいい」を決めるのは、他人であって、自分ではない。

“みんな、心にメンヘラを飼っている”。

今考えたんだけど、どうかな?あながち間違いでもないでしょう。案外そうかもしれないよ?ご査収ください。

全部ホンモノだよっ//

実は、僕はCHANELにとても詳しい。意外でしょう?こんなけヴィンテージ持ってるヤツいる?いねーよな!(マイキー)でも今はCHANELをひとつも持っていない。肝心なのは“所有欲”であり、“所有”そのものには価値がない。その事を既に知ってしまっているからだ。

もう時効だと思うから色々話すことにしたんだ。

今でこそ誰も寄りつかないブログだけど、かつて僕の活字中毒者は学校関係が多かった。例をあげると、中学校音楽教諭、高校英語教師、東大博士課程、図書館職員、名門音大生、大学職員、両親が教職者、お嬢様女子大生等・・あげればキリが無い。とにかく真面目が服着て歩いてるような読者が多かった。不思議だね。中学で道徳の授業をしてほしいと言われたことも。彼等は決まって僕に会いたいと言ってくれた。そして会った。僕は、僕に会いたいと言ってくれる人には会う主義だ。それでどーなるかっていうと、シンプルに沼だよ